019
http://ameblo.jp/acimworkbook/entry-10767420379.html
レッスン19
私は、私の思いの結果を体験することにおいて一人ではありません。
今日の考えは、あなたの見るという行為がなぜあなた一人にだけ影響を与えるのではないことの理由であることは明らかです。ある時は、思考に関連した考えが知覚に関連した考えに先行し、また別な時には、その順序が逆であることにあなたは気づくことでしょう。その理由は、順序は実際のところは重要ではないということにあります。思考と思考の結果は実際には同時的です。というのは、原因と結果は決して離れることはないからです。
今日、マインドは一緒であるという事実を私たちは再び強調しています。これが最初から完全に歓迎される考えであることはまれです。というのは、この考えは非常なほどの責任感を伴っているように思われ、“プライバシー”の侵害であるとさえ見なされるかもしれないからです。しかし、プライベートな思いは存在しないというのは事実です。この考えに対して最初は抵抗があるかもしれませんが、救いがそもそも可能であるとすれば、それは真実であるに違いないことをあなたは理解するでしょう。そして、救いは「神の意志」であるがゆえに可能であるに違いありません。
今日の練習が必要とするマインドの探求のための時間は一分程度ですが、目を閉じてこれをおこないます。最初、この考えを繰り返します。それから、マインドがその時持っている思いを探すために、マインドを注意深く探求します。一つ一つの思いを考慮しながら、中心的な人物、ないしは、それが含むテーマの名前を考え、それをマインドの中に保持しながら次の言葉を言います。
についてのこの思いの結果を体験することにおいて、私は一人ではありません。
練習のために主題を選ぶに際してできるだけ差別をしないことの必要性は、すでにあなたはよく知っているので、毎日繰り返すことはしませんが、思い出してもらうために、時々入れることにします。しかしながら、すべての練習に関して無作為に主題を選ぶことは全体を通して不可欠であることを忘れないでください。このかかわりにおける秩序の欠如は、究極的にはあなたにとって意味のある奇跡における秩序の欠如を認識させてくれることになります。
今日の考えを“必要に応じて”適用することは別にして、少なくとも3回の練習期間が必要です。必要とあれば、関係する時間を短くして良いでしょう。4回以上はしないでください。
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