017
生きている人であると思っているものも
物質だと思っているものも
好きなものも嫌いなものも
同じ何かであるとして
フラットに見てないのは
自分が中立的に見えていないから
レッスン17
私には中立的なものは何も見えません。
この考えは、原因と結果が実際にどのように作用するかを確認する方向に向かう別な一歩です。
あなたには中立的な思いはないために、あなたには中立的なものは何も見えません。
実際はそれとは反対であると信じたい誘惑はありますが、最初に来るのは常に思いです。
これは世間一般の考え方ではありませんが、それはあなたの考え方であることをあなたは学ばなければなりません。
仮にそうでなかったとしたら,知覚にはいかなる原因もなく、
知覚自体が実在の原因であるということになります。
知覚のきわめて変わりやすい性質から見て、これがそうである確率は極めて低いでしょう。
今日の考えを適用するとき、目を開けた状態で次の言葉を自分自身に向かって言ってください。
私には中立的な考えはないために中立的なものは何も見えません。
それから、あたりを見回して、あなたの目を十分の時間とらえるものの一つ一つに目を置いて、次の言葉を言います。
私には中立的なものは見えません。なぜなら、
についての私の思いは中立的ではないからです。
たとえば次のように言うことができるかもしれません。
私には中立的な壁は見えません。なぜなら、壁についての私の思いは中立的ではないからです。
私には中立的な赤ちゃんは見えません。なぜなら、赤ちゃんについての私の思いは中立的ではないからです。
いつもと同じように、生命があるとあなたが信じているものと生命がないと信じているものと間に、また、快適であると信じているものと不快であると信じているものとの間に、
何の区別もつけないことが不可欠です。あなたが信じていることとは関係なく、
本当に生命があって本当に喜びに満ちているものをあなたは見ていません。
その理由は、あなたは今のところはまだ、本当に真実で、したがって、
本当に幸せな思いは自覚していないからです。
3回か4回の具体的な練習期間がお勧めですが、抵抗を体験したとしても最大限の恩恵を得るためには少なくとも3回の練習が必要です。しかしながら、抵抗を体験したならば、
練習の時間を通常望ましいとされている一分よりも少なくしても結構です。
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