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レッスン9

私はいかなるものもありのままには見ていません。

この考えは明らかに前の二つのレッスンに続くものです。しかし、知的なレベルではそれを受け容れることができるかもしれませんが、今のところはこの考えがあなたにとって何かを意味するという可能性は少ないでしょう。


しかしながら、この時点では理解することは必要ではありません。

実際のところ、自分は理解していないという認識は、あなたの誤った考えを解除するための前提条件です。これらの練習は実践にかかわるものであり、理解することにかかわるものではありません。本当に理解していることは実践する必要はありません。

理解することを目標としながら、すでに理解していると仮定することは堂々巡りに他なりません。

訓練を受けていないマインドにとって、目の前にあるように見えるものが実際にはそこにないと信じることは困難です。この考えはきわめて心を悩ませる可能性があり、いろいろな形での強い抵抗にあうかもしれません。


しかし、それによってこの考えを適用することが妨げられることはありません。それ以上のことは,これらの練習、および、他の練習に必要とはされていないのです。小さな一歩一歩が暗闇を少しずつ払いのけ、最終的には、理解が訪れて、マインドを暗くしている様々ながらくたが除去されたマインドの隅々を照らし出すことでしょう。


これらの練習は3回か4回で十分ですが、あなたの周囲を見回して、この日の考えを目にするものすべてに適用することが必要です。その際に、無差別に適用する必要性と、何も除外しないという本質的な規則を思い出すことが大切です。


たとえば:

私はこのタイプライターをありのままに見ていません。

私はこの鍵をありのままに見ていません。

私はこの電話をありのままに見ていません。

一番身近にあるものから始めて、それから、範囲を延長してください。

私はあのコート掛けをありのままに見ていません。

私はあの顔をありのままに見ていません。

私はあのドアをありのままに見ていません。

再び強調しますが、すべてのものを完全に含めようとするべきではありませんが、特定の排除は避けなければなりません。


この区別をするにあたって、かならず正直であるようにしてください。

この区別をあいまいにしたいという誘惑に駆られるかもしれません。


daifuku

福の為に残しておきたいことを、ポストする 覚書メディア 大福帳 大福帳(だいふくちょう)とは江戸時代・明治時代の商家で使われていた帳簿の一種。大帳(だいちょう)または本帳(ほんちょう)、「大宝恵(おぼえ)」とも言われ、繁盛を願い縁起の良い文字が選ばれた。 商家にとっては最も重要な帳簿の一つであった。

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